宮川篤志のプロフィール  


若かりしあの頃、体重51kg

お祭り太鼓と呼ばれて・・・
初めてのお祭り太鼓はねぶた祭りだった。高校の学園祭でクラス毎に『ねぶた』を作り弘前の街を練り歩いた。薬缶に入っていたのは水ではなく、日本酒だった。直径1mほどもある大太鼓を叩きながら薬缶で喉を潤し街中を練り歩いた。それから10年程が経過して・・・『お祭り太鼓アツシ』と呼ばれた。



『アツシの読書日記』を始めました→こちらから
GUNJOGACRAYON


■非芸術派宣言-パンク現代音楽■
一応もっともらしい表題を作ってから内容を考えよう・・・
前パンク期からパンク現代音楽に至る道筋が次第に明らかになるかもしれないし、まあならないかもね・・・
とにかく長ーくドラムやってますが、ドラム歴35年=実動756時間程度です。

■前パンク期
青森県弘前にて(18歳頃)
バンド名:BAD RIPTATION(悪しき繁栄なんていう気負った名前でした・・・恥)
G,Vo:鈴木キサブロー(今は業界でも有名な作曲家です)ジミヘン風ロックバンド(中森明菜の曲とか『デザイア』、三好鉄生『涙をふいて』なんかを作った人)

■上京(夜汽車にて・・・)
初めての一人暮らし:国立のアパートで原始人のような暮らしを営む
ベッド=工事現場から拾ってきたコンクリートカスのついた型枠(専門用語)風呂=キッチンの流し台(入浴後の排水時に階下に漏水、大家による調査が入り、『常人の住まいではない』ということで追い出される。



■引越し(中央線電車にて・・・)
米軍放出品の雑嚢袋に布団、ステレオ家財道具すべてをつめこみ三鷹の長屋風アパートへ。

完全図解(これが三鷹のアパートだ!)

2畳半のスペースに究めて合理的に配置された各パーツ類、ベッドに腰掛けたままですべてに手が届いた。
ここの大家さんは住民たちのコミュニケーションを重視したらしく、隣の人が歯を磨く音まで聞こえた。
この時期は生活するのに夢中で、ドラムどころじゃなかった。
バイト料が月\20000で家賃が\4500くらいだったと思う。







■修行時代
叩ければなんでもやった、この時期に弘前、京都、東京と渡り歩く。 京都では磔磔で働いて、ゴキブリフレーバーのサラダ油で焼き飯などを作っていた。(磔磔の名誉のために言っておくと今ではちゃんと調理師免許をもった人が作っている。・・・らしい)


■パンク期
Mr.Kite の前身とも言える Kicks に参加、Guit:ワク、Bass:スチューの3人。ニューヨークパンクの存在を知る。カセットテープに録音されたTELEVISIONの音に衝撃を受ける。
この後にワクとMr.Kiteを結成 Vo:ジーン、Bass:タカシこの頃はTALKING HEADSの登場、RAMONES、BLONDIEなどニューヨークパンクの、型にはまらないバンド達に共感を覚える。東京でもパンクムーヴメントが盛り上がり、東京ロッカーズとしてあちこちで演奏。



■Mr.Kite後期にGUNJOGACRAYONに参加、PASSレーベルよりレコードをリリース、京大西部講堂でデビュー
京都の銭湯には電気風呂というのがあり浴槽につかると恥骨のあたりから電撃が走り、思わず昇天しそうになったのでした。・・・南無阿弥陀仏




WORKS

リバーランズ・スルーイット という映画を見ました?ブラッド・ピットが出てるやつです。
フライ・フィッシング というんですが、釣竿の先に細くてなが〜い鞭状の釣り糸がついててその先に細い釣り糸、毛鉤の順でついてます。
釣竿の反発力と鞭状釣り糸の慣性を利用してほとんど重さが無いに等しい毛鉤を、狙ったポイントにふ〜んわりと落下させ、たった今力尽きて水面に落ちてきた虫を演出してお魚さんを騙して釣り上げるんです。

毛鉤その1 毛鉤その2

作品群 毛鉤




CUBASIS VST
パソコン内にミキシングスタジオを作るソフト

永いこと使わずにVAIOの中で眠っていたCUBASISを使って MAIL MUSICの音源を編集してみました。
本来は送られてきた音源は手を加えずにそのままアップする予定ですが、各音源をトラックに分けて録音できるのでこれからは活躍しそうです。オーディオトラック:48チャンネルと、MIDIトラック:64チャンネルの再生が可能という、すっばらしい物で使いこなせさえすれば録音スタジオを持ってるのと同じ・・・・らしい。
※ 音源はMP3を貼り付けたメールで送ってもいいし、カセットテープ郵送でもなんでもいいです。




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